鄭海洋さん(社会科学研究科10卒)が日本僑報社に寄稿した記事を転載、許可を得て掲載している。鄭さんは早稲田大学中国校友会海外分会幹事、学部は西安交通大学出身、同大学日本校友会副会長兼幹事長をも務めている。
中国の近代史において、日本への正式な留学は1896年に始まった。 しかし、日本での大規模な留学は、その2年後の1898年から本格的に始まった。 当時は、湖北や浙江からの地方政府の派遣軍事留学生のほか、南洋、北洋、浙江、湖北からの政府派遣留学生もいて、一般の科学や文化を学ぶことができた。
日本への留学生派遣を始めた初期の学校は、求是書院(現浙江大学)、南洋公学(現上海交通大学、西安交通大学)、北洋大学堂(現天津大学)、北洋水師学堂などである。
これらの学校から派遣された留学生は、1898年以降、日本に渡り、高楠順次郎が経営する日華学堂で学んだ。 彼らは日華学堂で学んだ後、まもなく中国人留学生として初めて、日本の国公私立最高学府である東京帝国大学(現・東京大学)と東京専門学校(現・早稲田大学)の門をたたいた。
その中には、北京大学学長の何燏時、清華学校(現清華大学)学長の張煜全、朝陽大学(現人民大学)学長の汪有齢、北京大学法学部長の王建祖など、後に中華民国の教育界で活躍した人物が含まれていた。
日華学堂は、中国からの留学生をいち早く受け入れた予備校で、設立から存続はわずか2年余りであった。 日本外務省経由で日本に渡った中国人留学生の間では、「軍人予備生は成城学校、文系は日華学堂」という言葉があったほどだが、120年以上経った今、日華学堂を覚えている人はほとんどいない。
幸い、数年前、新潟大学副教授の柴田幹夫氏が日華学堂の学監であった宝閣善教の関係資料を調べているうちに、1898年から1899年の『日華学堂日誌』(原本は現在、西安交通大学書庫にある)に行き当たり、公開されることになった。 これにより、120年以上にわたって封印されていたこの歴史が再び脚光を浴びることになった。
武蔵野大学叢書14『日華学堂とその時代ー中国留学生研究の新地平』(武蔵野大学栾殿武教授、新潟大学柴田幹夫副教授共編)がこのほど出版・発売された。
本書は、『日華学堂日誌』を中心に、関連するさまざまな史料を組み合わせ、派遣の背景、日華学堂の教育・運営、留学生活、留学生のサークル活動や翻訳活動など、さまざまな視点から120年以上前の初期の中国人留学生の日本での生活や学習の様子を再現している。
また、本書では、「日華学堂規程要録」や「日華学堂日誌」、および日本外史博物館所蔵の日華学堂関係資料を収集し、注釈を付した。 そのため、一般読者だけでなく、研究者にとっても貴重な参考書として読み応えのある内容となっている。 (著者は日華学堂研究会会員、西安交通大学日本同窓会副会長・事務局長)。
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