北京稲門会&中国校友会章弘さん(政研90)のWeChatから転載、原文は中国語版、日本語はDeepLによる自動翻訳、ここでのブログ掲載は本人の同意を得ている。
不思議なことに、実は街は肉眼でもカメラでも見えない霞に包まれています。
北京、晴れ、最高気温27度、最低気温10度、涼しいけど、大気質予報指数62、空気は良好。
中国伝媒大学の開校式では、校友を代表して北京放送局の幹部が、雰囲気があり、堂々としていて、鮮やかで、息をのむような美しいスピーチを行いました。 この講演は好評を博し、広くリツイートすることになりました。
先日、私の母校である北京外大も、始業式で新入生を代表して中原出身の女子学生がスピーチし、ちょっとした話題となりました。 彼女のスピーチには次のような一節があります。(このスピーチの原稿の)
すべての文字の一画一画が背骨になる
すべての思いと思考は未来になる
すべての筆跡の墨は陽射しである
それを聞いて、校友のおじさんもおばさんもみんな、この子の未来は明るい、中国外務省の報道官にまた後継者ができたと思いました。
この2日間、北京外大のソーシャルメディアは本当に賑やかでした。 北京外大は専門技術職業訓練校と揶揄されるほど、規模は小さいですが、なかなかやることが民主的です。
創立81周年を機に、大学の校友会ロゴを変えたいということで、卒業生と在校生から投稿を募りました。 その後、提出された作品は一般に公開され、人気投票が行われました。
十数名の候補者の中から、ロシア語学部の学生の作品と日本語学部の卒業生の作品が、それぞれ5,000票以上を獲得してトップとなったのです。 日本語学部校友のエントリーは、一時、ロシア語学部のエントリーに100票の差をつけていました。
外大の本館は5階建てのみで、南側にロシア語学部、北側に日本語学部を配置するパターンは、1950年代から変わっていません。
外大で一番多い言語専攻は英語、2番目がフランス語、3番目が日本語とロシア語です。 そして、日本語とロシア語の3位争いをはじめ、アラビア語、スペイン語、ドイツ語など、さまざまな言語が続きます。
誤解しないでください。これは、大学の言語学や文学の学術的な地位の争いではなく、運動場のスポーツ競技のトップ争いです。 1位と2位は英語とフランス語、3位と4位は日本語とロシア語で競われ、この方式は私の学生時代も変わることはなかったのです。
当初、中ソ関係悪化の結果、私たち若者は皆、国家のプロパガンダマシンに洗脳され、北極熊ソビエトはバカで間抜けで、国民は食べ物も水もないと思い込んでいたのです。 ロシア語専攻のブラザー・ドレッジが私に話しかけてきて、トルストイ、チャイコフスキー、チェコフ、ドストエフスキー、パブロフ、プーシキンの栄光を見せてくれたとき、ブラザー・ドレッジが「ゴーリキーやショーロホフは何でもない!」と言ってくれたのが印象的でした。
私はプーシキンの不朽の名作「もし生活があなたをだましたら」を暗唱することを学びました。
もし生活があなたをだましたら、
悲しまないで、焦らないで!
憂鬱な日には落ち着く必要がある。
信じましょう、楽しい日が来ます。
心は永遠に未来にあこがれている。
今はいつも憂鬱だ。
すべては瞬きで、
すべてが過ぎ去る。
それが過ぎ去ったのは
親切な懐かしさになります。
余談ですが、校章デザインの投票キャンペーンに話を戻しましょう。 ロシア語学部の参入が日本語学部に追いつこうとした時、客観性や理性よりも感情や名誉が勝ってしまったのです。 日本語学部の卒業生が静かに動員され、その結果、世界各国にいる卒業生1万人近くが一緒に投票し、日本語学部はロシア語学部を大きく引き離して8000票以上を獲得したのです。
最終的には大学側の判断で、投票の結果、日本語学部の卒業生の作品が将来の北京外大校友会のエンブレムに選ばれました。
投票は正式かつ合法的に行われ、在学時の情熱が忘れ去られることはなかったのです。
という状況だったと推測されます。 記念にここに紹介し
www.DeepL.com/Translator(無料版)で翻訳しました。
Comments